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2005年11月26日
第39回自由組手全国大会
新世紀2005年・全日本武道空手道選手権大会
新世紀創世伝説・英雄達の激闘・ゼロ&無限

グランドチャンピオンシップ(無差別級、重量級、中量級、軽量級のチャンピオン同士の戦い)
優勝〔江口慶貞六段〕(重量級)
準優勝〔水谷正人三段〕(中量級)
第3位〔真田宇一朗三段〕(軽量級)

◎無差別級
優勝〔江口慶貞六段〕準優勝〔マーシャル三段〕第3位〔葛西雄介三段〕第4位〔光島道郎三段〕
第5位〔水谷正人三段〕第6位〔下澤 猛五段〕第7位〔小原正弘五段〕第8位〔真田宇一朗三段〕

◎重量級
優勝〔江口慶貞六段〕準優勝〔マーシャル三段〕第三位〔伊藤秀敏五段〕第四位〔下澤 猛五段〕

◎中量級
優勝〔水谷正人三段〕準優勝〔光島道郎三段〕第三位〔葛西雄介三段〕第四位〔高木克彦二段〕

◎軽量級
優勝〔真田宇一朗三段〕準優勝〔福田芳勝二級〕第三位〔立川 信無級〕第四位〔土井啓司初段〕

◎高校の部
優勝〔林 浩太無級〕

◎ハイシニア軽・中量級(50代)
優勝〔田根紀正初段〕準優勝〔植竹雄二初段〕第三位〔北形正美三段〕

◎シニア軽量級(40代)
優勝〔伊東 団四段〕準優勝〔吉野則久初段〕第三位〔梅田聡春二段〕

◎シニア中量級(40代)
優勝〔田中良平二級〕準優勝〔三好康裕初段〕第三位〔手代木雅弘二級〕

◎A〜D各コート上位賞
最優秀上位賞ABコート〔伊藤秀敏五段〕CDコート〔高木克彦二段〕優秀上位賞ABコート〔真田英生六段〕
CDコート〔浦川裕幸三段〕 優秀上位賞ABコート〔宮田勝矢三段〕CDコート〔中岡慎治初段〕
新人賞
最優秀新人賞総合〔関根雄一郎無級〕優秀新人賞〔斎藤一朗無級〕優秀新人賞〔須貝秀昭無級〕優秀新人賞〔立川 信無級〕
最優秀敢闘賞〔ギヨーム・パンゲ〕最優秀技能賞〔木瀧洋文二級〕 最優秀努力賞〔亀沢英生無級〕


○総評
今回の試合では多くの実験をしました。ここ10年間無門会空手も大型選手が上位を占め、小型・中型選手はほとんど日本一になることは出来ませんでした。結果小型・中型選手の中堅メンバーの全国大会参加が少なくなってしまいました。そこで今回の大会以降は今までの試合形式を無差別級とし、新たに重量級、中量級、軽量級を加え、さらにシニア軽量級(40代)、シニア中量級(40代)、ハイシニア軽・中量級(50代)を設けました。全国大会と称し、日本一を各階級で設けることになったのです。今までそういう階級を設けなかったのは無門会空手の極意技であるカウンター・受即攻技をマスターすれば軽量級選手でも重量級選手を一撃で倒すことができるという考えからでした。過去10年前までは中量級の選手がベスト4の3人を占めていましたが、ここ10年はたった1人になっています。しかし今回は各階級に日本一が出ました。そして40代、50代の現役の選手にも日本一が出ました。そしてまた軽量級、中量級、重量級、無差別級の優勝者同士の技を競わせる「グランドチャンピオン戦」も設けました。
フランスからは「ルノー・マーシャル選手」「ギィヨーム・パンゲ選手」の2名も参加しました。結果は江口慶貞六段が重量級、無差別級、グランドチャンピオンで優勝し、3冠を獲得しました。

高段者のケガによる不調で試合の流れは中量級選手にも…
いつもベスト5に入る古川恭司五段(中量級トップ)は大会前の練習による肩の故障で途中棄権、真田英生六段(全国大会優勝経験あり、身長190p、重量級)もまた足の筋(すじ)を痛めトップで棄権するというアクシデントが生じ、無差別級はベスト8に流れは中量級の選手にもチャンスがでました。マーシャル三段が準優勝、3位は葛西雄介三段(中量級)、4位は光島道郎三段(中量級)、5位水谷正人三段(中量級)、6位下澤 猛五段(重量級)、7位小原正弘五段(重量級)、8位真田宇一朗(軽量級)という順位になりました。中量級は無差別級と順位が逆転し優勝は水谷正人三段、準優勝、光島道郎三段、第3位、葛西雄介三段、第4位、高木克彦二段という結果でした。今回注目したのはハイシニア軽・中量級(50代)の結果でした。優勝は20年以上のブランクがあったにも関わらずここ2〜3年前に復活し、優勝した田根紀正初段(57歳)、準優勝は植竹雄二初段(51歳)、第3位は北形正美三段(55歳)の試合でした。私の空手指導の初期の弟子(1970代後半)であり、私より年上だった田根紀正氏は5年ほどで一旦退会し、2000年前後に健康管理を含めて再入会しました。そして昨年多摩支部の責任者となり、一昨年に全国大会に参加し、今回ハイシニアクラス(50代選手)で優勝しました。無門会空手は攻撃のみならず受け技、受即攻技、カウンターを中心とする技の組み立てなので「フルコンタクト空手」のようにめちゃくちゃにどつき、蹴り合うといった空手でも、相手の急所の前で止める「寸止め空手」でもなく、単純に言えば一撃必殺を狙う剣道に近い空手です。そして受け技、受即攻技、カウンターを非常に重要視する空手なので無駄打ちが少なく、体力の消耗が非常に少ない動きです。無門会空手らしい全国大会で参加者はいつもの半数でしたが、内容は非常に充実していました。


来年は40回記念で思案中です
1975年の6月1日から開始した自由組手大会も今年で来年で40回を重ねることができました。1980年代の前半までは年に2回の開催だったので30年経過したにも関わらず40回の回数となりました。1991年に自由組手大会は全国大会となり、近年は国際大会の様相となりました。私も2007年には世界を回ってさらに無門会空手を広めたいと考えています。

@少年部の競技空手を実施する企画。
A少年部の合同演武をする企画。これは基本の練習、移動、約束組手といった 普段の稽古のお披露目。
B少年部で型の演武を行う。
C富樫宜資が1982年、第15回大会で日と披露した受即 攻技を大スクリーンで見せる。
D高段者の型(沖縄のサイ、棒術、外人の型をみせる)
Eユッタリズムをみせる。(講習会で習得した人の予定)
といった企画です。試合の合間なので長い時間はできませんが、企画としては非常にユニークだと思います。
12月から来年の1月前後まで企画を練り実行していきたいと思います。


総本部の仕事と研究生の紹介
今年2005年の4月より坂井拳二準研究生(32)が総本部で総合的な仕事を手伝っています。研究生というのは富樫宜資会長の自宅の離れにある研究生寮(1階が6畳、2階が5畳)に住み込み朝夕の食事を取り、専門学校、大学、仕事に通いながら空手の研究と総本部の仕事を手伝うというシステムです。今まで10人前後の若者が4〜5年入れ替わりに研究生となっていました。ここ数年は研究生はいませんでした。一般部の稽古に出席する。研究生同士の練習に出る。支部の指導や協力に出掛ける。少年部の車の送迎をする。大会の準備やかたづけをする。

そうした有意義な青春を過ごし、立派な指導者となって羽ばたくことになります。20代を研究生となって過ごした若者で現在では電気製品販売会社の社長として成功している三井高春(34)という元研究生もいます。

坂井拳二君の場合 そうした研究生とまた別の事情によって研究生となる場合があります。他人とうまく話せない、社会に入れない、社会に入ったが失敗し、自宅に引きこもってしまって3年、5年、10年経ってしまった…という若者もいます。このままでは自分が駄目になる、社会に入れなく仕事もできない人間になるということで、自分を無門会で鍛え、無門会総本部の仕事を手伝いながらリハビリをおこない、自信を付けやがて社会復帰をしようとする若者もいます。坂井拳二君は高校時代(1989〜1992卒業)に関東の有名県立高校に入学後、勉強と陸上とバイオリンに夢中になったが、完璧にどれもこなそうと、いずれも「やりすぎ」で数年後神経が壊れてしまった。それから10年近くの間、時には音楽関係を勉強(作曲家)しようとか海外留学、東大受験をしようともしたがいずれも途中で挫折し、さらに身体の体調を悪くし寝たきりに近い状態が10年近く続きました。2004年4月無門会の準会員となりましたが4月の準会員講習会は欠席、5月は道場に着くなりフラフラし、稽古は出来ず横になって見学しました。6月上旬に病院で身体検査をしたら「心肺機能が80歳」レベルであることが分かりました。2004年の11月に私が「坂井拳二君の現状」を聞いてみて「このままでは彼は社会に適合できない人間になってしまう」と判断し、総本部にきて私の仕事を手伝いながら「心身のリハビリ」をしないかと彼に進言しました。そこで「準研究生」として2005年4月からリハビリの一環として総本部で私の手伝いをやるようになったのです。4月〜10月まで月毎に回復し、11月の全国大会には大会準備から撮影まで協力し、さらには試合に条件付きで参加できるまでになりました。来年は車の運転、パソコンで海外とのメール、英語のホームページ作り…を目標にしており、その努力を認めるとともに、大変感謝している次第です。
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