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武道教育学入門

富樫理論の普遍性を自己追求する5

日本空手道無門会の原点と思想


負けるが勝ちの論理とは
「無理して争わず、いったん勝ちを譲ったほうが、かえって有利になることもある…」「一時は相手に負けて、大局の上で有利のように導く。表面は負けて、実質で勝つことをいう…」
今回は人間の生きていく上で最も大切な、人生に勝つとか勝負に勝つ、何かに勝つ…といった一見簡単なようで有るが、実はわれわれの人生を決定的にきめつける重要な問題を考えてみよう。

あらゆる物ごとが
 弁証法的な性格をもつ

新たな宇宙論、素粒子論、量子力学理論、クォーク理論、DNA理論…の発見、こうした極限の世界の研究に唯物弁証法の理論は欠かせないものになっている。そこには「対立物の統一」「矛盾論」といった唯物弁証法理論の真剣な活用が必要になってくるであろう。武道空手道もある種の運動力学である以上、唯物弁証法の理論の活用なくして革命的な新たな発見はなくなってくる可能性が有る。活用が失われれば研究や技術は停滞し、やがて崩壊してくるであろう。それでは我々の日常の生活に唯物弁証法はどう役に立っているのであろうか?「三浦つとむ」はいう「…あらゆる物ごとが弁証法的な性格をもつ以上わたしたちの日常生活に指針にもやはり弁証法的な把握がふくまれていることになります。民衆がつくりだした諺や金言のあるものには弁証法がハッキリ浮き彫りされていて、弁証法の権威といわれる人たちの考えかたにそのままつながっています。…」(『弁証法はどういう科学か』」)というのである。
 つまりわれわれはこの日本に生きていたとしてその弁証法の存在を知らなくても、昔から伝えられた発展的なありとあらゆる世界に弁証法的な考えた方、認識の仕方を日常の中にみることができるというのである。そしてその日常の諺や金言を深く追求してくると、世界のトップクラスの社会科学者や自然科学者になれるというのである。そのまま新たな世界を切り開く雄大な人物へなれる可能性があるというのである。

勝ち負けの世界にみる弁証法
 さらに「三浦つとむ」はいう「常識からいえば、勝利と敗北はまったく別のものですけれど、この区分は一時的、相対的なもので、敗北は勝利にもなり、勝利も敗北になると考えるならば、それはあきらかに弁証法的な理解のしかたといえましょう…」というのである。われわれは特に日常における「勝ち負け」には敏感である。少年の頃からいろいろな事を試される「運動会、野球、サッカー…」「学校のさまざまの試験…」、そしてそれは友人との人生の勝ち負け、学歴の勝ち負け、大学の勝ち負け、会社の勝ち負け、スポーツ競技の勝ち負け、子供の勝ち負け、金儲けの勝ち負け、家、屋敷、組織団体、土地の大きさの勝ち負け、政治家政党の勝ち負け、格闘技の勝ち負け、空手の勝ち負け…現象的に「勝ち負け」をみればきりがないほど日常生活に「勝ち負け」という意識は存在する。
しかしそれは「この区分は一時的、相対的なもので、敗北は勝利にもなり、勝利も敗北になる」(弁証法)というのである。

勝ち続けた日本軍の決定的敗北
「昭和十六年十二月八日ハワイの真珠湾攻撃でアメリカ太平洋艦隊に勝利した日本軍は、やがてポツダム宣言を受諾(昭和二十年八月十四日)し、昭和二十年八月十五日に完全降伏して無条件降伏を結んだ」「しかしまた日本は戦後の復興めざましく、世界第二位の国民総生産GNPを生み出すことになった」
日本の第二次世界大戦における決定的と思える全面的な敗北、そして戦後の目覚ましい経済復興、そして1990年台の戦後最悪の経済の落ち込み…これなどはまさに弁証法的な見方でないと解答がでなくなる。

「負けるが勝ち」「勝ちが負け」
 ある政治家の勝利、ある会社の勝利が伝えられる中に、勝ったと思われた政治家がやがて敗北したり、一流企業といわれる会社や銀行が崩壊したり、有能といわれた社長が退陣したり、目まぐるしく世に中の価値観が変化していく。まさに20世紀、21世紀は激動の時代でもある。本当の実力がないと生き残れない厳しさがあるのである。

敗北は一時的なものだ
「…ほんのごく限られた人たちだけが、失敗の経験から忍耐力の偉大さを学びとるのである。彼らは失敗に出会っても、それは一時的なものにすぎない、と考えてすぐに立ち上がってゆく人々なのだ。その願望を決して投げ出さない人々だけが、最後には失敗を勝利に転換できるのである…」(ナポレオン・ヒル『成功哲学』)

全勝はまぐれであった
「一応真剣勝負に勝つには勝ったが、反省してみると敗北の要素はたくさんあった」(宮本武蔵)「…諸流の兵法者と行合、六十余度迄勝負すといえども、一度も其利をうしなわず。其程年十三より廿八九迄の事也。我三十を越へて跡をおもひみるに、兵法至極にしてかつにあらず」(略…諸流派の武芸者と出会い、六十数度まで勝負したのであるが、一度も勝利を失わなかった。これは年齢十三歳から二十八、九歳までのことである。しかし、三十歳を越えて、その足跡をふりかえってみると、自分が勝ったのは、決して兵法を極め得たがためではない…宮本武蔵『五輪書』)

まぐれ勝ちから真の勝利を求めて
 この主張は二十代の自分の剣の修行、勝負に対する厳しい反省がある。つまり宮本武蔵には「負けるが勝ちの論理」が十代、二十代にあまりなかったのである。これを現代的に考えてみるとどういう解釈になるのであろうか。私は二十代に連戦連勝している格闘技の選手にあてはめてみることができると考えている。過去に大活躍したプロボクシングのマイクタイソンや大相撲の北の湖、ボクシングの具志堅用高のように二十代の中間地点あたりまでは勝って勝って勝ちまくるような攻撃的な天才的選手が必ず輩出する時期がある。ところが26、7歳から30歳前後になるとあんなに強かった選手が信じられないような敗北が続きやがて引退していった例は数限りなくある。これは宮本武蔵も同様だったと考えられる。宮本武蔵の時代は野試合では「負けるが勝ち」とはいかなかったのである。戦国時代であり野試合では「負ければ死ぬ」という厳しい時代だったから「負ける訳にはいかなかった」のである。だから普遍の強さを考えたとき、今までの戦い方でやがて「本当の強さをしった修行者に間違いなく殺される」と考え、新たな剣の道と人生の道を二十年以上を試行錯誤しながら「極意への道」を研究し続けたのである。それで行きついたのが晩年の「五輪書」(宮本武蔵著)であった。

道場稽古で負けながら
負けない稽古をして強くなる

 当時でも柳生流、小野派一刀流、諸流派…でも道場稽古では攻撃技の研究だけでなく、受け技、受即攻技、カウンター技を研究していたと思われる。道場稽古の組手の研究においては真剣味では命がいくらあってもたりないので木刀や竹刀の防具の製作の発展は当然であったろう。木刀で徹底的に攻撃技と受即攻技やカウンター技の組手の疑似真剣勝負の訓練をする毎日のように何百、何千本の組手をやれば微妙な攻撃のコツや受即攻技やカウンターのコツを知っていくのもこれまた当然であろう。剣道の歴史は正しい発展の歴史をたどったかどうかは別にして道場稽古で「負けない訓練を工夫していった」ことは間違いないであろう。

勝つことにある落とし穴
「現象に勝って本質」に負ける

 宮本武蔵は20代の重要な剣の修行期に受け技、特に受即攻技やカウンター技の訓練がほとんどできなかったと思われる。個人のみでは習得が難しい受即攻技やカウンター技は「二人相対稽古で特殊訓練をやらなくてはマスターできない」のである。しかしそうした最初は「二人稽古であっても受けれない、受即攻できない、カウンターできない…つまり一時的に敗北しながらも段々と受けれる、受即攻できる、カウンターできる」レベルに3年、5年、10年かけて弱い相手から相当強い相手を含めて複数と段階的な有効な修行しなくてはならないのである。5年10年の間、攻撃技のみで勝ち抜いた人間が、一気に受即攻技やカウンター技に突然に転換できるなどというのは可能性は限りなくゼロにちかい。道場稽古でいやになるほど(死にもの狂いでやらなくては成らないほど)相手の攻撃を受ける訓練ができて始めて高度な技術を体得できるのである。

目先の勝利の攻撃技からカウンター技に転換した剣豪
 激しい攻撃的組手から出発明治時代に宮本武蔵的な攻撃技中心で勝って勝って勝ちまくったような人間(剣の修行者)があるとき受け技の名人に会い、自分の技を徹底的につぶされ、攻撃技にまったく自信を失い、攻撃技中心から、精神鍛練をしながら受け技、カウンター技…と十数年に渡って修行し直し、やがて剣の極意を得た「ある人物」がいた。流れを簡単に書くと「…九歳の時に真影流を学ぶ、さらに北辰一刀流で修行し、いろいろな流派の修行者と試合すること何千、何万数とそれこそ限りなく激しい組手を実践してきた。それは二七、八歳の頃までであった。そうして激烈な修行を二十年近くやってきたが何か納得のいく本当の強さ、絶対的な強さの世界、極意の境地に達成することができなかった。それで四方八方に剣道の名人を求めて捜し回った。有るとき中西忠太の次男で伊藤一刀斎の伝統を受け継ぐという剣の達人で一刀流の浅利又七郎という人がいるということをしり、早速試合を申し込んだ。外柔内剛の剣の浅利又七郎ところがいままで学んでいたところの激しい組手をするものとまったく違い、外からみるとユッタリして柔らかい構えだが、実際は中身は大変剛健なものであった。精神を呼吸にこらし、こちらの攻撃の動きを動く前から読んでしまう。攻撃しようとすると動く前に自分の動きを止められてしまうのである。恐らく木刀をもって動こうとする手や体を、動かそうとする刹那に浅利の木刀で軽くバチンと打たれて何も手出しができなかったのであろう。

現代風トラウマ状態?
 これを何回も何日もやられると「精神的金縛り」のような状態になってくる。この剛の男の頭脳(思考)が大いなるパニックのようになったに違いない。ある技で負けたならばさらにある技で返せば何とかなるが、この剛の男の自信ある全部の技を徹底的に一瞬に潰されたとき、「現代風のトラウマ」状態になってしまったのである。他で剣士と練習しても浅利が目の前に現れてどうにもならない。浅利は次第にこの剛の男の頭の中のほとんど全部しめるように苦しめるようになった。考えれば考えるほど浅利は目の前にそびえる巨大な山のように思え、この苦しみから逃れるために技術だけでなく以前から学んでいた禅僧の滴水和尚についてさらに深く「禅」で「無心」(公案=両刄交鋒不須避伝々…)を十年近く研究した。しかしまだ釈然としなかったが、さらに三年くらい過ぎたとき、ある商人が商売で成功したコツを聞くことができた。それは雑念して目先の儲けを考え商品を仕入れ高く売ろうと利益を計ると、同僚輩の商人達がそれをみて自分の弱みにつけこんで追い落とさんとしたりした。そのたびに精神が穏やかならず、商品の売買のコツが分からず買って置いた商品を適当な時に適当な値段で売れば良かったものを欲に目がくらんでもっと高く売ろうとして逆に大損をしたりしていろいろ経験する内に商売のコツ気合というものがだんだん分かってきた。自分が本当に商売で儲かろうとした場合は、勝ち負け、損得にこだわらないで商売はするものではないと考えたのです。勝とうと思えば胸がドキドキし、負けると思えば心臓が縮む思いがします。これでは大きな商売ができないと考えて、そこで何か商売をするときは損得とか目先の儲けとか考えないで、自分の心が「スッキリ」して迷いが無いときに、「これでやるのだ」と心に決めておき、そうして決めてから仕事に着手して、こまごまとした勝ち負け、損得に執着せず、ドンドンやることにしたのです。それが幸いして商人として成功したのです…という話を聞いて成る程、これも剣の極意に通じるものがあると考え、「禅の公案」と照らし合わせながらも、さらに夜に昼に深く工夫したらあるとき「トラウマ先生の浅利又七郎」の巨大な山のような姿が消えてしまった。これで自分も「浅利」のような無敵の世界を確立したのではないかと思い、早速安定という弟子を呼んで試してみたところ、「以前の先生の動きではありません。不思議ですが先生の前に立つこともできないくらい凄い構えです」というではないか…。

トラウマ撲滅
 それで十三年以上苦しめた続けた剣の師である浅利又七郎義明先生を呼んでその話をしたら、浅利先生は喜んで立ち会うことに同意した。両者防具を付け木刀を構えて両者合い立ち向かうことになった。鋭い気合がある浅利先生の動きは電光石火のような勢いがあったが、浅利先生は立ち向かうとすぐに木刀を置き、面を取り身を正して「いやいやもう以前の貴方ではない。もはや私(浅利)の及ぶところではない。ここまで達したのであれば、伊藤一刀斎の流れを無想剣の極致の技を貴方に伝えよう」ということになり、一刀流の流派を受け継ぐことになったのである。明治十三年三月三十日のことであった。私が四十五歳の時であった…「山岡鉄舟(春秋社)」

負けるが勝ちを実践した山岡鉄舟
 この山岡鉄舟の人生は「宮本武蔵のように」激しい攻撃的技を涵養した十代、二十代の時代があり、その激しい気性、動きを消し去るのに努力した三十代があり、やがて受け技、受即攻技、カウンターの極意的な動きを知る四十代がある。「…常識からいえば、勝利と敗北はまったく別のものですけれど、この区分は一時的、相対的なもので、敗北は勝利にもなり、勝利も敗北になると考えるならば、それはあきらかに弁証法的な理解のしかたといえましょう…」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』)まさに山岡鉄舟は弁証法を知らなくても弁証法の論理を活用したことになる。つまり発展的な人間は弁証法的な思考を無意識的にやっていると考えることができるのである。

失敗は成功の元
「失敗してもその原因を見極めて反省しさえすれば次は必ず成功する」「どのような困難に直面しようとも、敢然として立ち向かってゆくような強烈なあなたを創り上げるこの偉大なエネルギーとは、いったいどのようなものか?実は、このエネルギーこそ人間のもつ大きな理想を一つ一つ現実のものとして生み出してゆく“創造力”の源泉なのであり、このエネルギーこそ荒れ狂う人生の難航路を見事に乗り切らせてくれる“勇気”の源泉なのである。」(ナポレオン・ヒル『成功哲学』)三十歳を越えて自分のそれまでの人生を厳しく反省し、五十歳頃まで「剣の道」を研究し「極意」を極め、六十歳頃に人生最後の言葉として残した宮本武蔵の「五輪書」そこには、自分の人生の歩みを述べると同時に、多くの未来の人間に対するメッセージがある。いずれ「五輪書」を新たな視点から考えて書いてみたいが、宮本武蔵は集団戦においても個人戦においても役に立つ論理の書として「五輪書」を後世に残したのである。宮本武蔵は言う。

道を極めるには…
 第一に、邪心をもたないこと。第二に、道は観念でなく実践によって鍛えること。第三に、一芸だけでなく多芸に触れること。第四に、おのれの職能だけでなく、広く多くの職能の道を知ること。第五に、合理的に物事の利害と損得を知ること。第六に、あらゆることについて直感的判断力を養うこと。第七に、現象にあらわれない本質を感知すること。第八に、わずかな現象も注意をおこたらぬこと。第九に、役に立たない無駄なことはしないこと。

「宮本武蔵『五輪書地の巻』」「地の巻」
“基本は極意”ということ

 宮本武蔵は多くの諸国を流浪しながら、当時の多くの人生の道を見聞し、また多くの人生の失敗や成功をみて宮本武蔵の流儀を学ぶ人間の戒めとして可能な限り無駄な失敗をしないように注意したに違いない。「邪心をもたないこと…」極意を得ようとしたり、高い山に登ろうと努力したり、道を極めようとする人間は心を素直にして、謙虚になって道を歩まねばならないということであろうか、邪心がある人間は確かに何かうさん臭さが感じられるものである。「道は観念でなく実践によって鍛えること…」二十代まで六十数回の真剣勝負を重ね三十代、四十代と諸国を流浪し行脚して道を極めようとした宮本武蔵にふさわしい言葉である。「一芸だけでなく多芸に触れること…」剣を極めようとしたとき、その道の解答者や指導者がいなかった宮本武蔵は、その師を他の分野の頂点を極めたような人物に求めたに違いない。宮本武蔵の「書」「彫刻」「絵画」はいずれも一流を極めたといわれるように、多くの芸能の道を学んだようである。「おのれの職能だけでなく、広く多くの職能の道を知ること…」五輪書には大工の建物を建てる段取りで兵法を例えたり、太鼓や音楽の拍子で兵法のタイミングを解説したり別の世界を注意深く研究していた文章がある。「合理的に物事の利害と損得を知ること…」虫、鳥、魚…地球に生きている生物、動物は食物を探して季節の中で合理的に動き回り生きている、人間社会も同様に合理的に物ごとを考え、合理的に生きていき、合理的に損得を考えて、その人その人に合った最も有効なやり方をしなくてはならない、ということであろうか。「あらゆることについて直感的判断力を養うこと…」人間は何かに当たると「アーしようかコーしようか、あれを買おうか、これを買うまいか」と迷いがちである。

直感的判断力を養うこと
 そうであってはならない。一瞬に損得を見極めて正しい判断をしなくてはならない…というのである。直感的判断力は言葉で言うは簡単で、実際行うのは難しい。これは全部正しければ全員が大成功し、日本も世界も最高の世界を築くことができるのである。正しい判断が出来ないからこそ多くの人間は財力でも人間関係でも損をしたり、バブル経済が破綻したり、会社が崩壊したり、仕事を失ったりするのである。宮本武蔵がいうごとく「直感的判断力を養う」ことは成功への道を切り開く重要な課題である。「現象にあらわれない本質を感知すること…」火山が爆発する…、経済が破綻する…、学校が崩壊する…、国家が崩壊する…、中学生が凶悪犯罪を犯す…こういったさまざまな社会をにぎわす事件、事象、現象には必ずそういうことが起きるような「起因」があるというのである。現象が起きたときはその現象として起こる起因の構造(本質)を見極めるようにしなくてはならないというのである。「わずかな現象も注意をおこたらぬこと…」人間すべてを常に知っている訳ではないので、どこにいてもどこに住んでもあらゆる現象(目に映る全ての事柄)がある、そうしたあらゆることに注意し、ちょっとした変化、動きに常に注意をしなくてはならない…というのである。武芸者であった宮本武蔵にとって向こう側からくる侍の姿、形、動きなども余程注意深く見て強いか弱いか、急に切りかかりにこないかを見破ったに違いない。時には侍ではない女、子供、商人、百姓であっても注意を怠らなかったに違いない。「役に立たない無駄なことはしないこと…」空手をやると良く理解できるが、無駄な練習や非合理的な練習は役に立たないばかりか、逆に自分の動きを邪魔して敗北してしまうことがある。建物を建てるにも役に立たない建材をたくさん作って建物が建てられなくなったりする場合がある。何かの世界の頂点を極めようとすれば当然極めるのに必要な材料、技術、精神(認識力)が当然必要になってくる。宮本武蔵はそれを指導してくれる指導者がいなかったから、他の世界の道を極めた人に触れたり、多くの仕事に触れて自分の剣の道に必要な事柄を集めてきたのであろう。そして武道を極めようとすれば、無駄な技術や精神を使わないで、武道を極めるのに必要な技術と精神を集合し、合理的に訓練せよ…といっているのである。正しい心を持ち(心を謙虚にして)、多くの世界から学び取り、多くの道(極めたような世界)に体(実践)で触れ、無駄な動きや考え方や失敗をそうした世界から学び取ったり、合理的な方法を考え、自分の生きている社会や世界の動きに注意深く見つめ、自分の道を極めるには最も合理的なやり方で学びとり、自分の世界を確立せよ…といったようなことであろう。これは武道を極める道だけでなく、何の世界を極めるにも必要な条件であろう。

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