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武道教育学入門

富樫理論の普遍性を自己追求する3

日本空手道無門会の原点と思想


〈1〉武道空手道は弁証法的な性格をもっている--その2
 エセ武道も科学的武道になる。人間の強さへのあこがれや夢は大変なものがある。
人生の問題を解決するのにどうすれば良いか分からなくなり、奇妙な新興宗教に走ったりするように、若者や青少年の中には武道や科学の名を借りた奇妙なエセ格闘技やエセ空手に走ったりする場合がある。
軟弱な青少年が「だれでも簡単に強くなれる」といった文章をみると矢も縦もたまらずそうしたものを盲目的を信じ込み、5年、10年とほとんど無意味に近い年月を送ってしまう場合も多いのである。
また空手や格闘技など以外のスポーツ競技の選手などもその技術的限界や、精神的限界が訪れたとき、奇妙な新興宗教まがいの奇妙な科学的トレーニング方法にたよって狭い範囲しか通用しない真理を後生大事に抱え込み、逆に一生台な しとなるようなレベルに落ち込むということもよくある。
 大相撲などをみても分かるように伝統格闘技の世界の強さ作りは「奇妙な研究室」「奇妙な宗教まがいの集団」から育成されるのではなく、個々の大相撲部屋、伝統的大学 道場、一般道場から育成されるのである。
 アメリカのプロ野球もプロバスケットもプロテニスも徹底的な自己や集団による英才教育と厳しい伝統的な指導方法の積み重ねで育成されたものである。たとえそこに科学的練習方法なるものが出現したとしても、それは伝統的な世界に科学的なコンピューター的な総合分析がきめ細かく加味されたものである。
 陸上競技の100m走や200m走や走り高跳びや走り幅飛びのように絶対的なスピードや高さ、距離を競うための科学的データによる総合分析比較による《絶対的な真理性》を追求する世界と、球技や格闘技のように一定のルールの中でボールを媒介をしたバスケットボールやバレーボールなどの球技や、相撲、柔道、剣道、空手、レスリングなどのように相手の肉体を媒介として技で戦う格闘技の場合のように《相対的な真理性》を追求する場合の研究の仕方には相違がある。
高い空間を必要とするバスケットボールやバレーボールは最初から背の高い選手や運動神経の良い選手を必要とするし、相手と体重の激突がある相撲などは背の高さだけでなく体重の重さも必要とするようになる。

失敗と成功の経験の積み重ねと科学のデータの積み重ね
 いかなるスポーツ競技、球技であれ長い失敗と成功の経験の積み重ねと科学的データの積み重ねがないと厳しい戦いの世界では勝ち抜いていけない。これは何もスポーツや武道の世界だけでなく、あらゆる分野にもいえることである。特に人間の生命に関わる職業の場合、大きな失敗は個人の死亡事故、さらには人類の破滅にいたる場合があり、小さい失敗の段階で厳しいチェックが必要になってくる。最近では科学の発展によって地球崩壊に至るような危険な生産物、製造物が増えてきている。科学の勝利のように思われた原子力発電などもソビエトのチャエルノブイリの原子力発電所の爆発を始めとして世界中の原子力発電に事故が多発し、人類破滅の可能性が生じはじめている。
人間の認識の失敗や油断が人類の破滅となるような危険な状況になっている現代において高度な失敗と成功の論理を科学的に分析して、小学校から大学の研究室、そして企業や政府の研究機関においてもそうした論理を築き、国民の安全や地球全体の安全を考えなくてはならない厳しい時代になってきている。どんなに科学的な高度な世界を築いても、人間の頭脳と認識の世界が築いた産物である以上、世界崩壊に至る道を築いたとしてもそれは人類そのものの責任であり、人類自身が解決する道をも築かねばならない。
歪んだ国家、世界を築いたとしてもそれもまた人類の歪んだ認識からできあがったものであり、何ゆえに歪んでしまったか、失敗したのか解明しなくてはならない。科学に名を借りたエセ武道やエセ格闘技も長い歴史の中で時代とともに敗北し、消滅していくのは真の科学の思想に欠けたものであると言わなくてはならない。そしてまた何ゆえにそうした歪んだ武道ができあがったか調査研究する必要がある。

常識での勝ちと負けの考え方の限界
 スポーツや格闘技、武道において、また教育や日常の生活の中でも「勝った」「負けた」という勝負意識がある。特にプロ野球や大相撲の世界での勝敗は、テレビや新聞などの報道でその結果が毎日のように報告されファンを一喜一憂させている。「今日は勝ち!」「明日は負けか?」といった結果の予想である。
 近年では世界中がサッカーブームで、その勝敗は大いにファンをわかせている。しかし強い野球チームも、強いサッカーチームも、強い柔道であってもいつか敗北する時期が必ずやってくる。ファンによっては好きなチームが大会や試合で勝つと「勝った」「勝った」と狂喜して、今度は敗北すると「負けた」「負けた」と社会や家族に八つ当たりする場合がある。この「勝った」「負けた」という現象的な見方にはそれぞれに限界があり、「勝っている中にも敗北の要素があり」「負けた中にも勝利の要素」があるということである。教えながら学ぶ1964年東京オリンピックで、お家芸といわれた日本柔道が無差別級でヘーシンクに敗北したが、東京の魔女といわれた日本女子バレーは見事優勝した。あれから約35年経過し2000年ミレニアムに至って今度は日本柔道は復活し、男子柔道、女子柔道ともなかなか良い成績をおさめることができるようになったが、今年伝統の女子バレーボールはオリンピック予選で敗北した。そうしたことを総合的にみると「勝ちの中の敗北的要素」と「敗北の中の勝利的要素」というさらに複雑な認識が必要であるということに気が付く。
人間の社会には「生と死」「教えると教えられる」いったように「生と死」は別のもの、「教える教師」と「教えられる生徒」は別の存在と考えがちであるが、三浦つとむがいうように「生の中にも死の要素」はあるし「死の中にも生の要素」 があるし、「教える教師にも生徒から教わる要素」があるし、「教えられる生徒にも教師に教える要素」があるという複雑な要素が実はあるということがわかる。
今年好きなプロ野球チームが優勝しても、優勝した内容を複雑に分析し、来年は多分優勝できないだろう、とか来年も優勝できるだろうといった分析は「ただ優勝した」「 来年も優勝してくれ」といった現象的な見方、期待ではなく、経験的、科学的、論理的な分析の元においての予想となる。ことわざ論理「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」(背中に子供を背負って浅瀬を渡るとき、背中 から「お母さん、そこ深くてあぶないよ、そっちは石がぐらぐらしてあぶないから、こっちの方が浅くて渡りやすいよ」と子供に安全な道を教えられて浅瀬を無事わたること ができる)という諺がある。子供からも人生の道を教えられる場合もあるということであり、通常親から子供が物事を教わるという常識の見方から「一段上にあがった」見方 ということで「現象的見方」と「科学的見方」の中間地点にあるといえる。
特に少年期には人生の経験が絶対的に不足であり、科学理論も初期的状態の勉強であり、実際の人生智にも不足している場合が多い。それより諺(ことわざ)は親しみやすく、抽象的で分かりやすいものも多く、科学的世界にいく最高の道しるべである。
ことわざ例
「好きこそものの上手なれ」(何事も好きであることが物事を習得する元になる)
「青雲の志」(立身出世して高い位置につこうとする志しをもつこと)
「多芸が無芸」(いろんなことに通じている人は、逆に特別優れた面が一つもない)
「苦あれば楽あり」(人生の苦楽は巡り巡って繰り返される)
「義をみてせざるは勇なきなり」(人として当然行うべきことを実行できないのは、真の勇気がないということ)
「百聞は一見にしかず」(いろんな人の話を何度も聞くよりも、自分の目で実際に見る方が確実である)「精神一到何事か成らざらん」(精神を集中して物事にあたれば、どんな難事でもいつか成し遂げることができる)
「生あるものは必ず死あり」(生きているものは必ずいつか死ぬということ)

 こうした「ことわざ」はまだ人生が開けていない小学生や中学生だけでなく立派な大人にも非常に役に立つ場合がある。

物ごとの区別は相対的である
 最近コンピューターの発展と同時にDNA(ディー・エヌ・エー)がマスコミをにぎわしている。さらにまたクローン羊の製造、クローン人間の問題と人類社会に新たな問題を突き付けてきている。
「DNA」とは地球上にある生物が共通してもっている細胞の中にあるに「核」といわれる中に形つくられているものである。くるみや栗がある一定の時期がくると木から地面に落ち、新しい芽が地面から突き出て新しい生命が誕生するのと似てて、「核」の 中にある「DNA」がある一定の時間、周期がくると、一細胞の丸い「核」の中で、ボールのようになってたくさんギューギュー詰めになっていた丸い核の中に包まれている さらに小さなボールが「X」(染色体)の形をしたようなものに変化する。そうするとその「X」に巻き付いているコイルのような奇妙な線が現れる。小さな小さなヒストン という丸いタンパク質に奇妙なラセン状の線が付着しているのがみられる。このたくさんのヒストンに次々と巻き付いている電話線のカールコールような線が「DNA」とい われるものである。生物によってこの細胞の中の「核」の中に入ってる「X」の数が違っており、また人間であっても女子と男子では「X」数が同じでも、性染色体は「女子 はXX」「男子はXY」と違っている。人間は同じ人間であっても、毎日同じ人間ではない…というと哲学めくが、この「核」は一定の条件の中で、ある期間が過ぎると「細 胞分裂」を起こし、2倍に増えるのである。やがて古くなった細胞はしだいに消滅し、新しい細胞が次々と増える。特に幼児や成長期の若者はこの細胞分裂は非常に激しく、 死滅する細胞が少ないが、老年になると新しく分裂する細胞が少なくなり、死滅する細胞が多くなるということになる。
この「DNA」研究では「ガン研究」「遺伝子組み換え研究」「遺伝子病気治療研究」「クローン研究」…いままで不可能であった人類の発祥から過去から現在までの民族の構成の解明、人間の老化を防止する研究まであらゆる問題が解決できる糸口に入ってきたといって良い。最近では人間の肉体を構成する「DNA」を完璧に解明しようということで「30億文字」にわたるDNA暗号を解明しようという「ヒトゲノム解析計画」のプロジェクトが進んでおり、また海洋動物や陸上動物の「DNA」をすべて解明し人類の発展にさらに貢献しようとする試みもある。やがてそれが100%解明され新たな人類の未来を切り開くことになる。どんどん変化する人間の細胞は「…一時的であり、相対的なもので、絶対的なものではなく、ある条件では互いに移行するものである」(三浦つとむ)ということになる。
空手の技はどれをとっても一撃必殺、一撃必倒の破壊力がある。それは個々の技のみでみれば絶対的な破壊力はあるが、相手と戦う相対的世界にはいると、それも絶対的ではなくなってくる。相手に届かない場所から攻撃してもまったく効果がない場合がある し、相手に近づきすぎてもまったく効果がない場合がある。相対的な当てる相手との距離が正しくないと効果がないということである。これをみても一撃必殺がある絶対的な 武器も、相手との距離があわないとまったく効果がなくなってしまうのである。極真会の世界チャンピオンのフィリョが「K−1」でジェロム・レ・バンナにパンチで簡単に KOされてしまった。これなどもパンチが有利になりやすい「K−1」で得意の蹴り技を多用してしまったから敗北したのである。「ある条件では互いに移行する」というの は空手の世界ではあたりまえで、中間間合いから接近間合い戦では突き技などの手技が主流になり、中間遠間合いから遠間合いでは蹴り技や足技(移動)が主流になる。空手 の戦いではそれぞれの攻撃技の特長を熟知して戦う必要がある。ゆえに「(空手の一撃必殺の攻撃技も使うのは一瞬であり)一時的であり、相対的なもの(相手との距離、間 合いできまる)で、絶対的(常に同じ技が一撃必殺の効果が常時あるなどというものではなく)なものではなく、ある条件(相手との間合いによって)では互いに移行(効果 のある技は変化する、別のものに変わる)するものである」ということになる。
 相対的真理の獲得が勝利への道空手の試合や格闘技の試合をみると、そこには相手をいかにどういう技で倒すか、勝ちを取るかが問題になっている。現在の法律では「決闘」や「殺し合い」は禁止されているにもかかわらず、大会や試合では相手と激突して戦いに決着をつけようとしている。そこに「勝敗を決める」ルールが存在し、安全性を保ちながら勝負に決着をつけようとする現代的な課題がある。それでは空手をどういうふうにみれば良いのであろうか。見る観客のために、観客を楽しませるために戦うのであろうか、自分の空手を極めるために戦いの訓練をするのであろうか、もちろんそれは個々の考え方によるが、空手を始める人間は何のために空手を訓練するか、将来空手を極めるのか、観客のために戦うのかをしっかり見極めないと、自ずと解答が違ってくる。つまり戦いの極意となる相対的真理を獲得するためか、観客を呼びための真理を得るかでは、戦いの仕方が違ってくる。極意を得ようとする人は当然相対的真理(極意)を得る武道をしなくてはくてはならない。

一定の領域で起こるいろいろな現象はそこをつらぬく基本的な、普遍的な、必然の関係の上に立っている」(三浦つとむ)
 日本という国家は北海道、本州、四国、九州という大きいな島々が集まってできている。この国は春になると地面や草木から若芽、若葉がでて地中に寝ていた昆虫や虫も地表にはい出てくる、夏になると太陽が真上にきてサンサンと照り、草木には花が咲き虫が飛び交う、やがて秋になると青葉は色あせ、枯れ葉が舞うようになり、冬になると急激に気温が低くなり雪が降り、草木は枯れ、枯れ葉は飛び散り昆虫も地中や木の中にもぐってひたすら暖かくなるのをまっている。
こうした日本という領域には地球の経緯と緯度や環境の中で四季が必ずくるという《法則》があることがわかる。また太陽の法則、空気の法則、重力の法則…といった自然の科学で発見された法則の下で生きているということも分かってくる。もし太陽が無くなったら、もし空気が無くなったら、もし重力が無くなったらわれわれ人類は地球には生きて行けないであろう。
 我々の人類の財産は長い間にこの自然の法則を人間の認識で発見し、獲得してきたことにある。

法則性の発見が人類の発展
 地球環境にはわれわれ人類がまだ未発見の法則性が限りなくあるが、また発見した法則性もたくさんある。小さな法則性の発展はやがてよりヨリ大きな法則性へとつながりやがてエネルギー普遍の法則のように、より大きな普遍的は法則性へとつがなっている。こうして自然の中に法則性があるように、社会の中にも当然として法則がある。
 中国は黄河文明にはじまり殷、周、秦、前漢、新、後漢、魏晉南北朝、隋、唐、五代、北宋、南宋、元、明、清、中華民国、そして現在の中華人民共和国となった。欧州ではさまざまな権力闘争を経て、封建制度という独特の社会体制ができあがり、長きに渡って欧州を支配してきた。そして欧州では国家間の権力闘争や宗教闘争でしばしば戦争を経験し、やがて、絶対的主義王政はフランス革命などの市民革命が台頭することによって崩壊しはじめ、近代になって自由主義、国民主義の時代に発展していった。北アメリカの歴史は肥沃な広大な土地に住んでいたインディアンの土地に欧州から移民した人々が植民地として住みはじめたが、やがて英国の植民地政策に反発したアメリカ市民階級が独立戦争を起こし勝利した。その後アメリカはアメリカ合衆国となり、南北戦争を経ながらも今日の隆盛を築くことになったのである。
 こうした歴史の流れは、「…物ごとの区分は一時的であり、相対的なもので、絶対的なものではなく、ある条件では互いに移行するものである」と人間の体の細胞や自然の法則にあるように、社会の法則も、中世時代は絶対主義であった欧州も、やがて自由主義、独立主義にうってかわり、新しい近代国家にかわってきた。
さらなる「理想の国家とは何か!」これに明確に解答できる人はいないが、少なくとも「経済的な理想の法則性の確立」「健康的な理想の法則性の確立」「安全性の理想の法則性の確立」「精神的な理想の法則性の確立」といったことは人類共通なのではないだろうか。しかしそうしたことを築くにはまだまだ個々に解決しなくてはならない問題が数多くある。人間の認識の問題である。武道は人間の長い闘争の歴史から生み出した優れた文化遺産でもある。日本の剣道や柔道や空手道は宮本武蔵の生き方をみても分かるように「戦いの道」を通じて人間の「人生の真理を獲得する道」でもあった。戦いの道を通じて「普遍的な強さとは何か」「普遍的な真理とは何か」ということを考えさせる力がある。武道の良い面をさらに発掘して、武道を通じてさらなる《人類普遍の法則》を獲得しなくてはならないのである。

真理と誤謬
 我々は「これは絶対に正しい」「これは真理である」と何かを信じたように強く主張する場合がある。「何々帝国は永遠不滅である…」「車は自転車より速い…」「現在の政党は一番正しい…」「K空手は最強である…」「何々宗教は正しい…」といった主張は一面は正しい場合があるが、多面では誤りであることに気が付く場合が多い。戦前日本は日本帝国という国家権力体制を築いていたが太平洋戦争でアメリカ軍に全面敗北(無条件降伏)したことによって「民主国家日本」に様変わりした。当時の人のほとんどが「神の国日本」「不敗の国日本」を絶対的に信じていたようであるが、終戦の昭和20年8月15日以降に絶対信じていた世界が変わった。そうした大きな変化もあるが、日常の世界でも「絶対に正しい」と思っていることが否定される場面もしばしば見受けられる。例えば車と自転車である。
「どちらが速いか」「車が速いに決まっている」となるが、残念ながらいつもそうであるとは限らないのである。
 整然とした高速道路のような場所ではいくら速い自転車でも車には勝てないが、お盆のように50m、100m渋滞した道路でノロノロ運転を経験しイライラした人は誰でもわかるが、歩くより遅くなったような車と比較すれば自転車が圧倒的に勝つし、車が ほとんど通過できないような細い道での競争では問題にならない。車はノロノロ運転どころか溝に落ちてしまって動けなくなってしまうであろう。
「現在の○×党は永遠不滅である」というような主張を言われても国民が賢くなった現在では空虚な主張でしかない。「K空手は最強である」という言葉も「K空手のチャンピオンがKOで敗北」すればこれもまた空しい主張となってしまう。こうした「これは絶対的な真理だ、正しいのだ」といってきたものが「それは誤謬だ、誤りだ」ということになる。逆にまた「あれは正しくない、間違っている」といってきた物が逆に「あれは正しい、真理である」ということになる場合も多いのである。こうした精神的な「真理と誤謬」の関係も自然の法則にも、社会の法則にも「物ごとの区分すべては一時的であり、相対的なもので、絶対的なものではなく、ある条件では互いに移行するものである」という普遍的な法則が貫いていることが分かる。

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