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武道教育学入門

富樫理論の普遍性を自己追求する1
日本空手道無門会の原点と思想


未来が観(み)えるとは?
2000年4月20日「K−1大阪大会」フィリョ敗北の中で「1999年某日…山田編集長と私の4人で食事をしていた。その時の3人に「近いうちにフィリョは必ず突きでKO負けするよ」と断言したものである…」(格闘マガジンK,vol,8,1999年3月1日アスペクト発行)

2000年5月6日、グレイシー柔術敗北の中で(プライドGP決勝戦)
「…富樫会長:以前から主張しているように、空手の〈突き・蹴り〉に対しては〈突き・蹴りに対する無門会空手の受即攻技〉を正しく習得していくことが正統な道である。それを勉強、研究しないで、まったく別の方法をとって対抗した場合、たとえ勝っても感心した勝利ではない。昔から日本でいう卑怯なやり方であるということになる。そうした方法は逆に時間とともに相手側に悟られてきて、基本の突き蹴りの無さを知られ、敗北の元になるのである。要するにブラジル・バーリトゥードはブラジル・バーリトゥードの技術の限界を知られ、その受け技ができた後に、彼らが軽視した「突き、蹴り、複雑な受け、受即攻技」でやられるということになる。ヒクソン系統の格闘技には突き・蹴りに対する受技がないということはこれから一層明確になるはずである。…」(格闘マガジンK,vol,7,1999年2月1日アスペクト発行)
 恐らく一連の富樫理論の愛読者は百も承知のことであろうが、99年極真世界チャンピオンのフィリョが「2000年ミレニアム、K−1大阪大会」(4月23日)でジェロム・レ・バンナに一回戦2分前後で〈カウンター左上段逆突き〉をくらい、もろくも一発《K・O》された。技術論はいままでの私の公開した理論と実践を過去に公表した多くの格闘技誌をひもとけば(再読)すべて納得いくことであろう。グレーシー柔術にしてもしかりで、本質をつかむことによって、小さな過ちは日常にあったとしても、根本の重要なことは正しい大きな真理獲得という世界で花開くのである。
今回から唯物弁証法というやっかいで難しい問題をとりあげることによって、武道空手道というこれまたやっかいな難しい理論と実践をさらに面倒になることは十分予想されるので、私も頭を整理するつもりで過去をさらりとふりかえり、また現在と未来をさらりとみつめることによって段階的に高い次元に読者とともに挑戦してみようと考えている。

富樫と無門会空手の再認識
 1973年12月に日本空手道無門会を創設して以来、日本空手道無門会は前人未踏の世界を切り開き次々と完成を果たし、新たな未来を切り開いてきた。
猫足立ちの「極限の攻撃技、複雑な受け、受即攻技、カウンター技」『ユッタリズム』の完成、後屈立ちの「極限の攻撃技、複雑な受け、受即攻技、カウンター技」の完成、前屈立ちの「極限の攻撃技、複雑な受け、受即攻技、カウンター技」の完成、三角形三段階関連区分理論図形の完成、武道、武道空手道の論理構造の完成、三角形三段階関連区分理論図形による社会構造論理の基本構造
 この完成の過程や技術論、完成過程の構造論はいままで幾度か誌上に書いてきたので、内容についてあまり理解できないにしてもそれなりに目を通した読者も多いことであろう。
 読者といっても、日本空手道無門会とは直接的に関係ない読者も多いゆえに、「ファ〜そんなものか」といった認識しかないカモ知れない。しかし武道空手道の追求や完成を願う人間には私の論理を通過しないかぎり100%完成はできないであろうことは間違いない。
「K−1大阪大会」(2000年4月23日)で極真世界チャンピオンのフランシスコ・フィリョがジェロム・レ・バンナに1回戦で〈左上段逆突きカウンター〉であっけなく〈一発K・O〉をされた。以前から私は「真の空手」は「蹴りよりも突きが圧倒的に強く、有利である」という勝負構造の論理の主張がそのまま証明されることになった。そうした予想をするのに「直感」(まぐれあたり、はずれもある)でシロート的に言うか、立ち方、突き蹴りの技術構造…といった複雑な論理構造からプロフェッショナル的に結果を推測するのとでは世界が違うのである。

大いなる実験へ武道空手道の完成する試合とは、指導訓練とは?
探求編自己完成理論を弟子へ

 私が1979年に武道空手道の完成を果たし、1970年前後〜1979年まで己自身が完成するまで築き上げた論理と実践経験の理論と実践を、1980年代以降の弟子育成に全人生を費やすことになった。
極限の武道空手道の指導者を目指し、弟子に武道空手道の完成を望み、指導中心の生活に入ったのであるが、既製の世界にはない新しい武道空手道を指導する場合は、まったく新鮮であることは確かであるが、1980年代前半、私の絶対的な自信とは何だったのであろうか?
 武道空手道を完成した理論と実践がある。日本空手道無門会という武道空手道の完成実験道場がある。曲がりなりにも1970年代の弟子に初期的実験を行い成功した。学問的な枢軸として唯物弁証法という思考武器がある。他もろもろ勿論不足しているものもあったが、後は1970年代の大いなる自己完成実験を1980年代の弟子に厳しく鍛練指導し、弟子を完成を果たす…という夢は大変なものがあった。

夢は大きいほどよい
 弟子の育成といっても私は弟子の育成と同時に、武道空手道の人類史に残る究極の普遍的理論と実践の追求、そして唯物弁証法と武道空手道の融合した新たな理論と実践の追求、指導者とは何か…といった武道空手道を枢軸にした諸々の理論の解明という大目的もあった。勿論そのすべてを解明した…ということではないが、多くの武道空手道を枢軸にした理論と実践が私の手によって多くが解明され、現在新たなる未来社会を切り開く思想の武器として役に立てなくてはならない時期にきているようである。
プロフェッショナルクラスまで今一歩
 1980年に武道空手道を本格的に指導して20年経過するが、1999年の全国大会第33回自由組手大会の大会内容から判断してセミプロクラスとしては相当充実した、熟成された技術程度になっていることは間違いない。第33回全国大会を総結集した「参照:新入門者指導ビデオ」(5千円)をみればそれが十分理解できるであろう。
 トップクラスの選手は極限とまではいかないまでも完成する武道空手道としての「セミプロ的攻撃技、複雑な受け、受即攻技、カウンター技」が四段〜五段トップクラスから茶帯クラスまでその技術の多彩さ、豊富さ、受即攻技の完成度の高さは目を見張るものがある。過去いかなる武道家も果たせなかった武道空手道の完成が富樫宜資と無門会空手によって完成されるのである。最近の弟子は多くの崩壊していった過去の会員の屍(しかばね)を乗り越えて、トップクラスを中心として新たな中学生、高校生も未来のトップクラスを目指して頑張っている姿はまさに勇者のごとくである。ただこのままの現状で「黙って完成するか?」といえば、そう簡単に完成する選手はでてこないであろう…と推察する。

1980年代の迷走的試行実験と1990年代の確信的試行実験を再研究する
 富樫が完成している…、理論と実践が完成している…、三角形三段階関連区分理論図形は完成形である…といえども、弟子をゼロから究極まで育てられなければ、実践指導教育学は偽物である…ということになる。またニセモノの理論と実践では絶対に完成はできない。富樫宜資の理論と実践は、いままでの空手には無かったまったく新しい完成する武道空手道である。

1980年代の試行錯誤は何故起こったか?
 それは1970年代の富樫宜資のみの武道空手道完成と富樫宜資のみが完成する理論と実践であり、誰でも完成する、いや多くの並の努力する人間が完成する理論と実践ではなかった…簡単に可能なほど甘くはなかったということである。また同時に指導実践経験は未成熟、未熟、未経験だった…ということなのである。
 1980年私は研究プロとしては大学教授レベル以上の力量を30歳で得たが、指導プロとしては大学院の研究者レベルで、まだまだ無門会空手の指導者としてはも未熟な師範レベルであった。

受即攻技という究極の新技を納得させるには受即攻で弟子をぶちのめすことが一番であった
 1980年代は富樫宜資という人間にとっても、武道空手道を学ぶ人間(弟子達)にとっても未知への厳しい旅であった。武道空手道の完成の理論と実践を弟子に指導する喜びと1970年代に難問の唯物弁証法の理論を武道空手道の完成を果たしてから融合しようと考え、唯物弁証法なる難しい学問はいったん思考のタンスにひっこめておくことにした。しかし武道空手道、社会研究、または日本や世界の中で新たな発明、発見がなされるたびに、これは唯物弁証法的に解釈するとどうなるのか、どう分析できるのか?、とにかく武道空手道の完成理論と実践、唯物弁証法の分析解釈をタンスから出してそのたびにどう理論分析すればよいか試行錯誤してきたものである。そしてさらに近年に至り誰も予測できなかった1990年代の日本の多くの崩壊現象のような社会科学の理論と実践の分析…とにかく難しい課題が待ち受けていた。1970年代私は教育の問題(近未来の崩壊)を深く考え、研究していたが、武道空手道と唯物弁証法が半人前(23歳〜25歳前後)では何も書けない、言えないということで己自身を徹底的に鍛えあげることにしたのである。
当時(1980年以降)の「私の行動力学とはいったい何だったのであろうか?」この誌上で再認識したくなったというのも今回こうした文面を書く理由である。
そのヒント的解答は10年後に格闘関係の複数の月刊誌に連載した内容に連続して書かれているのであるが…。

A.富樫宜資が完成した武道空手道の理論と実践の体系化。
 やがてそれは10年後に発表したのである。==「格闘技通信」(ベースボールマガジン社)[極限の空手道理論、富樫宜資と無門会空手](1989年4月〜1991年6月)==「フルコンタクトKARATE」(福昌堂)[空手とは何か?、武道空手道の構造を解明する](1993年3月〜2000年6月)==「格闘Kマガジン」(ぴいぷる社)[武道教育学入門、知識を武器にするもう一つの空手道試論](1998年5月〜2000年7月号連載中)

B.日本空手道無門会という実践団体で武道空手道の理論と実践の指導実験をする。
 1975年第1回自由組手大会以降、1999年全国大会第33回自由組手大会まで第33回の試合を積み重ねた富樫宜資の弟子達による武道空手道完成への練習体系と自由組手の実験成果、上位は滝澤賢次七段、江口慶貞五段といった全国大会で十数年、五年トップを握る選手が輩出し、さらには江口慶貞五段の極限の攻撃技を〈受即攻、カウンター〉する真田英生四段、伊藤秀敏四段、古川恭司四段といったトップクラス選手が続々輩出している。

C.富樫宜資が完成した理論と実践の唯物弁証法的解釈とは?
〈三角形三段階関連区分理論〉および〈唯物弁証法〉を分かりやすく図形化した《三角形三段階関連区分理論図形》はそれを解明する最も重要な図形である。この図形は富樫宜資の武道空手道の極限の理論と実践の完成への道を普遍的に数軸的に表したものと言ってよい。

D.三角形三段階関連区分理論図形を中心に基本的な国家論を築いた
 国家論を中心に民主主義、及び共産主義という国家形態から離れて理想の国家形態とは何かを武道空手道と唯物弁証法を中心に現実の世界国家のから学びとり、新たな理想の国家形態を築き上げる。しかしこれはまだ理想の国家を形成したわけでもなく、理論を提示していない。今後日本だけでなく世界中の国家に理想的な国作りを提示できる理論と実践を今後数年間で発表したい。要するに弟子を完成させたい…、完成させることができる大会と組織を築く、そして国家、政治を完成させる理論と実践をおこなう…というものである。理論と実践を理解する読者の中から、歪んだ思想の世界革命などを育成するなどというものではなく、本質をつかんだ人間になり、同じような理論と実践を行おうとする読者が輩出してくれることを願っているのである。

読者に対する認識
 読者の認識はいかなるものであろうか。こうした誌上で何を期待して書こうとしているのか今後の事を含めて考える必要がある。
 三角形三段階関連区分理論図形といった一連の理論は難しくて分からないので取っ付きにくい。
 日本空手道無門会をこれからどうするんでしょうか?どこまで理論や技術の公表をするのでしょうか?
 この質問に関しては理解しようとする人は熱心に見て研究すれば良いし、理解できなかったり、理解しようとしない人は、理論を読んだり研究する必要はない。レベルがC級、D級で一生よい場合は富樫理論に全く関心をもつ必要がないからである。以前から主張しているように、自分たちの空手や考え方を正しいと信じソレのみを一生信じて一生をマットーすればよいのである。私を批判する奇妙な人(精神的死亡者)がいるが、ソレを正しいと思えばその人の言いなりになれば良いだけのことである。富樫理論には既製の空手や格闘技に疑問をもって、試行錯誤しながらも武道空手道を完成しようとする人のみが重大な関心をもてば良いのである。もちろん富樫理論を信じているが、仕事やなにがしかの関係で空手はできないので熱心な読者でいようとすれば、富樫宜資と無門会空手の活動に外から注目をすれば良い。三角形三段階関連区分理論図形は武道空手道の完成への道と、唯物弁証法があまりに見事に融合した図形で『20世紀・21世紀の奇跡的発見、偉大なる業績』となる可能性がある。私自身あまりのすごさに「使いこなす難しさを常に確かめながら」少しずつ少しずつ発表しているのである。武道空手道的解釈としては80%〜90%の構造的解明が進んでいるが、部分部分でまだ実験段階であるので100%とはいっていないほど私自身にとっても大変難しい図形理論である。理解しようにも難しくて分からないという人がいるが、本来そうした人は「自己否定」するというスタイル(姿勢)に欠けている人が多く、最初から理解できない段階にあると言ってよい人が多いようだ。精神的には発展性がなく私は精神的死亡者と判断している。三角形三段階関連区分理論図形には下部構造と中部構造と上部構造があるが、中部構造においての「ヌエ、モザイク論」が特に理解できないようである。関心があるようであれば、もう一度詳しく次回以降に書いてみたい。==日本空手道無門会をこれからどうするんでしょうか?
日本空手道無門会は現在育成されている江口慶貞五段や滝澤賢次七段が発展させた「単純、三重の攻撃技」の一層の発展、そして江口慶貞五段を苦しめている真田英生四段のようなカウンター選手、そして伊藤秀敏四段、古川恭司四段のような受即攻スタイルの選手の育成と、さらなる技術の発展を目指す後継者組織集団とする…ということである。
 彼らに紙一重の選手は全国に次々の輩出しているので、油断すれば「アッ」という間にトップクラスの選手でも過去の人になるくらいトップクラスの熾烈な争いは厳しい。まさにプロフェッショナル技術直前の大会である。そういった意味で、日本空手道無門会は優秀な人材の育成をいかに育てるかにある…のである。さらに女子部の育成、少年部の育成に努めており、女子部、少年部の大会も段階的に行う必要がある。==どこまで理論や技術の公表をするのでしょうか?
三角形三段階関連区分理論図形を中心に武道空手道の究極の世界を次々と発表していこうと考えている。技術に関しては「フルコンタクト空手系統」「寸止め空手系統」「総合格闘技系統」…といった世界と一見似ているようでまったく異なる世界なので、どこまで理解できるか不明である。しかし過去に他流派経験者が多数入門し、20代、30代のなっても一級品の選手として育成され大会や指導活動で活躍しているので、これから可能な限り公表する必要があるだろうと考えている。
要はいかに誌上で優秀な人間を育成できるかにある。しかしフィリョを倒したジェロム・レ・バンナやピーター・アーツのようになりたいといっても彼らは彼ら個人の努力性からできあがったもので、基本から究極まで体系化されたものを学んで強くなったわけではない。だから立ち方やパンチ中心の動きはある程度正しくても、受け技、受即攻技などはほとんどないので、彼ら自身がこれから勝ったり負けたりする人生を歩まなくてはならないのである。無門会空手のいう体系的な訓練とは彼らのような極限の攻撃技だけでなく、さらに難しい「極限の攻撃技、複雑な受け、受即攻技、カウンター技」を段階的に総合的に修行していくシステムを築いているのである。
 可能な限り大きなケガをしないで、最初は受け技、受即攻技で失敗(敗北)してもやがては普遍的な強さ、真の強さを得られるように練習体系を築いているのである。だから無門会空手のトップクラスの選手はほとんどが30代、40代、50代となっても最高の技術で戦えるのである。そうした戦いのルールや判定の仕方、審判の在り方といった全体を理解できないと、体の大きな選手のみの空手になってしまうのである。
極真空手の世界チャンピオンといっても一回戦一発K・O負けするような空手には何かが問題あるのである。それには立ち方の問題、ルールの問題…流派の考えの違いの問題がある。無門会空手は今まで誌上で空手界の多くの過ちを指摘し、無門会空手の技術もある程度誌上で公開してきたが、今後一層明確に誌上で公開する必要がある…と考えている。それが日本空手道無門会にとっても、空手界全体においても、日本にとっても、世界の発展にとってよければ…。


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