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世界からの連絡 (2006年3月12日)



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インドからのメール
尊敬する先生へ(英文を日本文にしました)
こんにちは。わたし(インド他流派の五段)はとても集中して無門会のDVD(無門会の基本練習、試合、型のDVDを12月に送った)を見ました。わたし、及び高弟指導員はそのDVDを見てとても興味を持ちました。インドでは極真会のスタイルで試合をやっていますが、それほど流行っていません。わたしたちは無門会空手が設立され、インドで評判を得ることを望んでいます。何故ならインドではわたしたちの組織がすでに国家レベルで道場を経営しているからです。わたしたちはまた多くの国内、および国際的なトーナメントを組織化しました。インドでカラテを学んでいる多くの生徒がいて、彼らはわたしたちの指導のもとにすでに試合をしています。DVDを多くの高弟の指導員に見せた後にわたしはかれらとインドで無門会空手をはじめることについて話し合いました。しかし、そのためにはわたしたちにふさわしい方法で多くのことを学ばなくてはならないし、また、稽古方法を変えなくてはなりません。無門会空手の特別な稽古のために、日本に行く指導員はDVDを見終わった後練習をはじめました。その指導員は二段、及び三段で、わたしは、彼らの証明書と、日本でかれらに発行されたプロフィールを送るつもりです。しかしその前に無門会空手のメンバー(会員になる資格)を得たいと思います。
次の情報をわたしに送って下さい。
1、会費
2、昇段費用
先生からの返事を楽しみにしております。
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アフリカのセネガルからの手紙
親愛なる富樫先生
 お手紙を書くことはわたしにとって大きな喜びです。カラテジャーナル(フランスで発行されているカラテの月刊誌)の大ファンでそこで住所を知り、大変共鳴したことをお伝えしたくて書いています。わたしはマーシャル・アーツ(格闘技)が大好きです。無門会は大変すばらしく、結果も出している道場です。無門会空手の指導方法を尊敬しています。本当に先生は真の師範を育てるべく唯一の訓練方法をとられています。先生の鋭い鋼のようなテクニックはわたしをとてもひき付けます。だから先生の道場にコンタクトをとりたくて手紙を書きました。お返事待っています。いつの日か日本に行って、偉大な先生に会いに行って、マーシャル・アーツについて日本で学びたいと願っています。ご連絡、お待ちしています。
親愛をこめて、ありがとうございます。
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世界からの連絡について
2003年頃から無門会総本部に外国から手紙が届くようになりました。一つには2000年頃にフランスの格闘技雑誌に富樫宜資と無門会空手が紹介されたことがきっかけのようです。ルノー・マーシャルは少年期に全日本空手道連盟の松濤館空手(しょうとうかんカラテ、寸止め空手、試合で相手の急所の前で止める、要するに当てないルール)を学び、20歳前後で松濤館空手にグローブを付けて戦う、「ベトナムカンフー」という空手を学び、30歳前にはムエタイ(キックボクシング)を学び、試合では全勝、すべてKO勝ちをしました。その当時に私が紹介された本をみて無門会空手に興味を持ち、フランスから無門会総本部に1週間学びにきました。

私が直接指導し、さらに5回全国大会で優勝している江口慶貞六段(当時五段)、無門会のトップクラスの真田英生六段(当時五段)、伊藤秀敏五段、向井郁雄二段に学び三段を与えました。そして2005年の全国大会では準優勝し、五段を獲得しました。そうした活躍をフランスの格闘技雑誌は紹介し、無門会空手の名前はヨーロッパ、アフリカ(元フランス領フランス語圏の国)に知られるようになりました。さらに日本の空手の組織に不満をもつ世界のカラテのリーダーも注目するようになりました。日本には大きな組織に全日本空手道連盟という組織があります。「寸止め空手ルール」で相手に当てないで勝ち負けを決めようとする空手で日本ではNHKなどで放送されるようなカラテです。もう一方が大山倍達(10年ほど前に亡くなった)という人物がつくったフルコンタクト空手という空手の組織です。これはもう分裂に分裂していますが、人数的には全日本空手道連盟を大きくしのいでいます。人気の「K−1」はこのフルコンタクト空手の流れです。無門会空手はこの両方の流れを持っている団体ですが、前記のふたつの空手団体と大きく違うのは彼らは「突き蹴りのみのカラテ」であり、無門会空手は「突き蹴りとそれを逆利用する受け技、受即攻技」が実践化できる唯一の団体です。「受即攻技」が有る、無いとでは天地の差があります。つまり「一生完成出来ないカラテ」と「努力すれば完成ができるカラテ」だからです。


○スポーツとの違い
オリンピックの選手の中心はほとんどが10代、20代です。より速く、より高くといった競技は20代でピークを向かえ30代から急激にその力は衰えてきます。スポーツ格闘技の世界も同様に急激に30代になるとその力量が衰えてきます。一般のスポーツ空手も同様に競技空手も30代前半の選手も多少いますが10代、20代の選手が中心で30代後半からの選手はほとんどいません。スポーツはスピード(速さ)が最も尊ばれて、そのスピードが衰えるといかなる強者も敗北するようになってきます。

私は20代の前半に空手を学ぶにあたってそうした薄っぺらい空手に対して猛烈に反発しました。技が深ければ20代が30代に勝てない、30代が40代に勝てない高度な技が存在すると信じ、研究しましたが、日本のどこにも存在しませんでした。「現代の空手界に欠けているものは何か?」私は徹底的に研究し、解答を得たのは「空手界には受け技・受即攻技が無い」ということでした。もちろん一般的な空手の本には「受け技」や「受即攻技」は写真付きで表現はしていますが、試合では一流の選手も「受け技」や「受即攻技」はできないのです。本に書かれて実際はできないのは何故か…。 その理論を解き、実践することに私の20代は全精力が注がれました。そして25歳の時に歴史的な偉業と言うべき「空手は完成する世界がある」という理論を築くことができたのです。26歳の時にその理論を実践すべく奥多摩の倉沢鍾乳洞からさらに山中に入った山奥で1年間空手の修行に打ち込みました。23歳の時にも100日修行をした山ですが、その時は深い理論があって修行したのではありませんでした。

それには「極限の攻撃技・受け技、受即攻技」を朝から晩まで1日約15時間以上徹底的に繰り返し練習するという生活が約1年間続きました。


○相手が観える
1月は本や食料を運んだりして、本格的には2月頃に入りました。10月、11月頃になると、攻撃する技を訓練すると受即攻技をする人間の姿が目の前で写り、受即攻技を訓練すると攻撃する相手の姿がくっきり目の前に写り、攻撃する手足の動きを正確に受け、正確に攻撃を返しているのが当たり前になりました。

それまで理論上では最高の空手を訓練していると分かっていても、感情面、人間的な面ではしっくりこない空手の「攻撃、受即攻技」の動きに「いやだな」と思ったりしましたが、それからは空手が思い通りのものになり、目の前に写る自分に殺意をもった緊張感のある相手が自分の戦う相手となりました。
12月になると完璧に目の前の写る相手を倒す自信ができ、12月のクリスマスの日に下山しました。


○弟子を育て、相手にする
当時私は20人前後の大学生を中心とした弟子がいたので、その弟子を相手に山で修行して来た技を指導し、稽古相手をさせました。若い20歳前後の若者達は急激なスピードで「攻撃、受即攻技」を習得していきました。そして3年目に私は、現代空手界にない「突き技」を「受即攻」する技術を完璧に習得することができました。

ボクシングを見ても分かるように、パンチは大変なスピードと破壊力があります。「K−1」などでも相手を倒すのは蹴りよりもパンチの確率が高いのです。


○日本人から外国人へ
1989年に格闘技雑誌「格闘技通信」(ベースボールマガジン社)に「極限の空手道理論・富樫宜資と無門会空手」(富樫宜資著)という連載が2年半にわたり連載されました。当時「寸止め空手」や「フルコンタクト空手」に嫌気がさしていた若者がその連載を見てぞくぞくと集まってきました。新宿、大阪、九州で幾度か講習会を開催し、新しい弟子を育てました。また夏合宿、冬合宿を開催し、多くの他流派の有段者に指導し、黒帯に育てました。また大会も単なる「第25回自由組手大会」だったものが「第26回自由組手全国大会」(1992年)となり、無門会空手の組織は全国組織となりました。

それから格闘技雑誌「フルコンタクトKARATE」「格闘Kマガジン」「BUDO−RA」に10年以上連載、さらには「富樫宜資自伝書」(福昌堂)を発売しました。


○完成する空手を日頃の練習と大会から築く団体
無門会空手が空手界から難しい空手理論を持ち、難しい空手の実践をしていると空手界及び格闘技団体から評価されているのは、空手の完成を目指した稽古方法と空手の完成を目指した大会システムが分からない、理解できないから無門会空手を理論的に攻撃することも無門会空手に挑戦してくることもできないのです。

「寸止め空手」(急所の前で止める)のように攻撃技を出し合いスポーツ的にするのでもなく、フルコンタクト空手のように顔面を打たないでボディと足を打ち合う(顔面パンチ禁止)空手でも無く、攻撃者はいかなる部分も突き・蹴りでフル攻撃可能で、攻撃された選手はその殺意をもった突き蹴りも一瞬で受け、受即攻、カウンターし、一撃で倒す空手として練習も試合も体系化しているので、どうしても一般のスポーツ空手とフルコンタクト空手とは違った世界の空手ができあがります。そして完全に近い防具を使用します。

しかし、無門会空手の一般会員のほとんどはスポーツ空手やフルコンタクト空手に反発し、完成する空手に興味を持ち入会し、有段者になった選手です。空手の経験がまったくなく純粋に無門会空手に入会した18歳以上の会員は2〜3割です。


○無門会空手の評判は世界に広がってきた
世界の空手人口は1000万人とも5000万人とも言われています。無門会空手は1973年の創設から2000年前後まで日本人を中心に、日本人の精神的な支柱となるべき空手として教えてきました。しかし、ここ数年スポーツ空手、フルコンタクト空手に限界を感じたりする外人も非常に多くなってきました。「K−1」だとキックボクシングのようであり空手から離れ、アルティメット(柔術、突き・蹴りに投げ・関節技を使う)にも向かえない空手家が何100万人もいると考えられます。

より空手を深く、広く、高く、さらに完成を目指すには私が築いた無門会空手と無門会の大会を目指す以外には道は無いことになります。


○日本の若者は弱くなった
さらには最近の若者は一部の若者(プロサッカーやプロ野球、オリンピックで活躍する若者)を除き精神的にも肉体的にも弱くなり、激しい向上心や高度な技術を完成しようとする気持ちが全体的に失われてきていることです。登校拒否児、仕事を拒否する「ニート」が多くなってきています。「無目的」「無目標」は激しい受験競争からできあがった裏返しの状態です。

日本経済も1990年代はバブル崩壊時代でどん底でした。良い学校に入っても良い会社に入れない。子供たちの将来も危ういものになっていたのです。5年も10年も働かないで家にとじこもっている若者を幾人か知っています。「無目的」「無目標」は人間を駄目にしていきます。人間嫌いも駄目にして行きます。

無門会空手は空手によって日本を変え、世界を変えて理想の社会を築いて行こうとする強い目標があります。日本の若者にも理解していただきたいものです。


○世界の若者に指導を
ここ3年、5年は世界の若者を中心として指導していく目標をもっています。世界から日本に続々と1年後2年後には来るでしょう。また日本から世界中に指導にしていく予定です。

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